黒髪少女の言葉

もう少女とは呼べない。twitter @aoi_ouen

ドライフラワーを閉じ込めたアクセサリーと黒髪の女の子

 

 

ブログを始めたのはいいものの、文字を綴り続けるという行為は難しい。自分の持っている言葉を、どう表現して伝えたら良いのか。とても考えてしまう。twitterの文字制限は、140文字。twitterに収まりきれないほどの想いがある人はきっと、ブログに向いている。ブログに綴った文章をtwitterで広めるべきだ。逆なのだ。ブログというツールを上手く使いこなす能力が欲しい。私がtwitterで発言するのは、森川葵と美少女についてが殆ど。目を惹く美少女を見つけた時、どうしても、「素敵」や「素晴らしい」といった言葉を多用してしまう。いや、本当は、素敵という言葉の中にもっともっと伝えたい濃い部分があるのだけど、上手く表現しきれずに、最終的に、この言葉でまとめてしまうのだ。語彙力が無い、というのだろうか。私は自分の綴る文章が嫌いだ。嫌いだからこそ書くのだ。書けば書くほど、何かが身に付くに違いない。と心の奥で感じている。

 

 

そして、最近アクセサリーを作り始めた。かすみ草やスターチスの花びらを、ドライフラワーにして、色を付ける。「花」は無条件に好きだ。かすみ草は特に好き。一歩引いていて、他の花を引き立たせる。そして、美少女と花の相性は最高に良いのだ。出来れば黒髪の女の子に身に着けて欲しい。ピアスもあけていないような。完全に、私の願望に過ぎないのだけど。ひっそり販売し始めた。誰かの目に留まってくれることを願う。しかし、このブログに需要があるなんて到底思えないのである。

https://kurokamishop.thebase.in/

 

 

 

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熊本地震を風化させない。一年に一度思い出して下さい。

熊本地震から一年が経つ。4月14日。そして思いもよらぬ本震。14日だけではないのだ。16日にやってきた震度7。こちらの方が、威力が何倍もあった。私はこの地震で,

家を無くした。一年経った今もみなし仮設住宅に暮らしている。様々な問題が重なって、家が建てられないのも現状だ。仮設住宅での生活はまだ続くだろう。仲の良かった親友の家もほとんど無くなった。遊んだ思い出の場所。やはり震災後の熊本の現状を伝える報道、長くは続かない。これはしょうがない事だと思う。メディアは一年という節目に目を向けて報道して伝える。これは、「熊本地震」という出来事を思い出させる、風化させない為の報道。それは、とてもありがたい事だと思う。一年に一回だけでいいので思い出して欲しい。思い出されることが、私にとって嬉しい。目に留めて欲しい。熊本の人にとって戦いは続いている。私のような被災者が、被災地から情報発信をすることに意味がある。 つくづく、戦争を経験した人が、語り部として伝えている事の重要さを、同時に感じた。東日本大震災が発生しテレビで幾度も報道されていた時、大変そうだなと思っても、正直、どこか他人事である自分がいた。驚くほど無関心であった。あまりにも非現実的で、映画を観ているような感覚。熊本地震は、津波が無かっただけましだと思われるかもしれない。死者も少なかったかもしれない。だからと言って、忘れ去られるような出来事だけにはしたくないのだ。

 

「復興」したのかと聞かれれば、復興に向けて少しずつ確実に進んではいるが、本当にたった少しである。なにを持って復興と呼べるのか?私には分からない。まずは壊れた家の解体。解体が進んでいる地域にも当然差があり、傾いた家、壊れたお墓、散らばった瓦の山。そんな光景がざらにある。

 

 メモとして震災直後に撮影したものを載せておきたいと思う。水害も重なり悲惨な台所。

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 下から割れ始めた階段。二階に上るのも恐怖だった。

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バリバリに地割れする地面。大きな余震が起こる度に地割れした地面が左右に動くのだ。

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はがれ始める家の壁。

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お墓の石さえも崩れてバラバラ。地震のある少し前に亡くなった、私のおじいちゃんはどんな気分だっただろうか。

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積まれる瓦の山。良い瓦なのに勿体ない気がしたが、この重い瓦屋根が家を潰しかねない原因となる。とくに熊本の田舎の家は、瓦に重きを置いて建てられた家も多い。昔の人はそこに見栄を張るような部分があった。

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 約20年住んだ、我が家の解体の様子を見に行って撮影した写真。もう悲しさを通り越して、涙も出なかった。ずっと立ち尽くして見ていた。今は何もない更地になっている。

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 近くにある神社は、裏に回るとブルーシートがかけられ、石垣はバラバラの状態まま。これは震災当時と変わっていない。これが現状。正直このような小さな神社までは、手が回っていないし、いつ手がつけられるのかも分からない。圧倒的に人手が足りない。震災直後のように、人は集まらない。

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 今も、度々余震が起こる。忘れた頃にやってくる揺れは体感とした大きく感じ、あの恐怖を思い出して体が震えてしまう。精神的苦痛を長期にわたって味あわせられる。こうやって一年を振り返った時に、体調が悪くなったり、気分が落ち着かずそわそわする、いわゆる記念日反応が起こる。決して子供に限った事ではない。

 

しかし震災前に比べて、災害対策に対する意識は、格段に上がったと感じた。懐中電灯、ラジオ、タオル、靴下、非常食、ウェットティッシュ等を詰めたバッグをいつも置いている。災害を経験しないと、このような対策を実行出来ていなかったことが分かった。予測できない地震から、自分の命を守るために、生きるために行動してほしいと思う。そして、熊本で起こった二度の地震を、長く伝えていきたいと強く思う。

 

 

美少女好きには堪らない。奥山由之「君の住む街」

奥山由之さんが撮影した「君の住む街」を予約。全てをポラロイドカメラで撮影された写真集。写真を仕事にしている人って羨ましく思う。私には、こんな素敵な作品を撮る事は出来ない。奥山さんの撮る写真はどこか掴めない。ボヤッとしているように魅せて、繊細で、でもちゃんと主張がある。私の大好きな森川葵さまも出ている。森川葵は最高の被写体だと思う。素晴らしくフォトジェニックなのだ。フォトジェニックという言葉、かっこいい響きで使ってしまう。「写真写りがよい」という意味で使われる。そしてtwitter森川葵好き、美少女好き、女優好き、女の子好きの界隈全ての皆に、声を大にして言いたい。「君の住む街」絶対に買うべきだ。なぜなら、

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【送料無料】 君の住む街 / 奥山由之 【本】

 

この写真集に登場する被写体のおんなのこ達。

小松菜奈木村文乃中村ゆりか有村架純門脇麦忽那汐里清野菜名、本田翼、森川葵夏帆広瀬すず中条あやみ二階堂ふみ飯豊まりえ早見あかり新木優子山本舞香多部未華子吉岡里帆久保田紗友黒崎レイナ駒井蓮岡本夏美、ヤオ・アイニン、小芝風花田辺桃子佐久間由衣などなどざっと35人。

 

この、どうだ!旬を取り揃えたぞ、と言わんばかりのメンバー。ドヤ顔だろう。相当好きだ。前に出てくる感じも。単純な私はすぐさま予約画面に走る。これ、この文字列だけで私、簡単に殺された。今をときめき過ぎる女の子ばかりで眩しい。ふと、この女の子の中に私が混じったとしたらどうなるのか。と考えた。やっぱり殺される。圧倒的な美しさに。私の女の子としての存在。「可愛い」「美しい」の詰まった届かないモノを眺める方が私は幸せである。

 

ニトリでドレッサーを購入した。ニトリで買える安くてシンプルなドレッサーを3つ紹介してみる

最近、ドレッサーを注文した。しかも二個。妹と私の分。出来るだけシンプルな物を探しまくって決定したのが、ニトリの商品だ。お値段以上♪であることを祈る。色は無難にブラウン。

 ホワイトも捨てがたいが汚れ目が付くと考えた。いかにも姫系なデザインのドレッサーは、見た目はもちろん可愛いが、残念ながら私の趣味では無いため却下。実は、熊本地震で解体された家とともにドレッサーも失ってしまったので、今回購入するに至った。みなし仮設のため、あまり大きなサイズは置きたくない。商品は取り寄せのため、4月下旬のお届けらしい。届いたら現物をブログに載せようと思う。椅子の部分がぱかっと開いて、収納になるものがたくさんあったが、その分、物が増えて片付けづけた気になるのがどうしても嫌だ。なので脚のついた椅子の商品を選んだ。しかも3万円以下でこの通りシンプルなデザイン。シックでいい感じだ。ドレッサーを変えたところで、私の顔は可愛くはならない。お部屋が可愛くなるだけ。

 

 

他に気になった商品を載せておく。

 26000円でお手頃。部屋の雰囲気が明るくなりそうだ。引き出し部分がベージュ、木目がかった見た目と、あえて全部をホワイトで統一していないところも可愛い。私は基本的に怖がりなため、三面鏡を避けている。鏡は一つで十分である。

 

 

これは鏡を引き上げ折りたためるタイプ。コンパクトで場所を取らない。

 

通販でドレッサーを眺めるの最高に楽しい。

 

 

お花の刺繍が入った洋服を手に入れて女子力上がったつもりで歩かせてね

f:id:naoppsan:20170329184206j:plain f:id:naoppsan:20170329184322j:plain スケッチブックに洋服のデザインを描く。別に、デザイナーを目指している訳ではない。お花の刺繍が施されている洋服が、流行っている。刺繍は最高にときめくのだ。可愛いものは、可愛い。沢山欲しい。いっそ刺繍を習ってしまいたい。ZARAのデザインは、最高に心を擽られる。しかし私は、ZARAの店舗に漂う雰囲気に馴染めない。海外ブランドだけあって、大人でモードな感じが、少し背伸びした子供のような気分になってしまうからだ。店員も何故か気の強そうな人が多い、というかそう見えてしまう部分もある。ZARAが似合うカッコイイ女とは、ほど遠い。そんな私の劣等感から来ているに違いない。

映画「おんなのこきらい」女という生き物の面倒くささを素直に汚くも、美しく描かれた最高の映画

 

 

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「可愛い、可愛い、可愛い。女の子はそれだけで生きていけるのです。生きる価値があるのです。」 

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おんなのこきらい [ 森川葵 ]
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 女の子なら一度は思った事がある。かわいいから許される事、この世の中には、うんと溢れている。可愛い女に生まれたかった。森川葵演じるOLキリコは、女の価値は「可愛いことが全て」と信じて生きている。男にはちやほやされるが、女には嫌われてしまう。そんな子、周りに必ず一人は居る。私は可愛いを貫く、そしてあざとさ全開の女の子が大好物である。女のあざとい部分を、前面に押し出して生きてける子、醜いけど、それが許されるのだから、羨ましいと心底思う。自分のかわいさを自覚していて、したたかで、最高だ。
 
綺麗に巻かれたロングの髪と、男受けしそうな可愛いお洋服、男を引き寄せる仕草、そんなかわいい女を纏いながら生きるキリコ。キリコにとって、お菓子、ケーキやマカロンも、自分自身の「かわいい」を構成する対象だ。食べては吐くの過食嘔吐を繰り返す。勿論、食べ物だから太るが、吐いてしまえば同じ、そんな考えである。表面的な可愛いは作られないが、体の中にかわいいものを詰め込んで体の一部にする。
 
仕事で出逢ったコウタは、キリコのあざとさを見抜いて見向きもしない。そんな素っ気ない態度を取る。俺は他の男とは違う、と。木口健太のどことなく影のある、イケメンっぷりも凄い。キリコが想いを寄せているbarで働くユウトとは、友達以上恋人未満の関係。新入りで入ってきたバイトの女の子に簡単に寝取られてしまう。いくらキリコが可愛くたって、本当に手に入れたい物は手にする事が出来ない。男は本当にバカだ。
 
失恋してメンタルがボロボロになり、長い髪をザクザクと切り落とし、泣くキリコの元に、コウタが現れる。過呼吸に陥る彼女の背中を、そっとさすってあげたり、ただ黙って一緒に居てくれるコウタの優しさが染みるし辛すぎる。一番見られたくない、惨めな女の汚い姿を表現していた。失恋した女ってあんなもんだ。キリコにとって長い髪は、可愛い、の象徴だったに違いない。ショートカットになった彼女に「可愛い」と言ってしまうコウタは、本当にズルい男だ。これは好きになってしまう。ドン底にいる時に差し伸べられる優しさは、強いし凶器ともなる。
 
鍋の材料を買ってコウタの家に行くと、コウタの彼女と鉢合わせ。しかも自分とは真逆の、落ち着いていて優しそうな彼女だったからこそ、余計に傷ついたのだと思う。耐えきれずに家を出たキリコに、コウタの彼女は「追いかけなくていいの?」と。これは女であるからこそ出た言葉だと。女の面倒くささが、女である彼女には痛いほど分かるから。私の好きなシーンのひとつ。
 
彼女がいるくせに、ドン底にいたキリコに「かわいい」と言った。可愛いが全ての彼女にとって、嘘でも言ってはいけない言葉だ。キリコに向けられた「かわいい」は、コウタにとって愛だ。家族に対して向けるような愛、人間愛。好きな人から言われる「可愛い」と、別の不特定多数から向けられる「可愛い」は、全然価値が違う。可愛いの意味も異なる。
 
失恋を繰り返して生まれ変わってゆく。そんなキリコは、客観的に見て、やっぱり「可愛い」のだ。愛しくなった。最後、自転車に乗って爽やかに走り出すシーンが表している。凛々しくて素敵だ。ロングの彼女も、ショートカットの彼女も、可愛いの形を変えて進むだけ。彼女が信じていた可愛いは一体なんだったのだろう。
 
結局男は、ブスと可愛い子がいたら可愛い子を選ぶし、それを分かっているからこそ、世の中の女の子は、一番の「かわいい」を求めて努力する。好きな人に見てもらいたい、好きって言って欲しいだけなのだ。その人にとって、一番の存在にはなれないもどかしさ。おんなのこは面倒くさくて嫌い。そんなの、女に生まれた自分自身が一番分かっているから。男にこの気持ちが分かることなんて一生無い。
 
森川葵の、守ってあげたくなるような華奢さと、可愛さが、よりこの映画の説得力を増す。ハッピーエンドに終わるそこらの恋愛映画とは、違う。見事に裏切ってくれて潔い。それでも、やっぱり「可愛い」には価値がある。

スクールガールコンプレックスの世界観と太宰治「女生徒」

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太宰治 女生徒を知ったきっかけは、映画「スクールガールコンプレックス」だ。まだ今ほど有名でない頃の森川葵門脇麦が主演している。私はこの映画が大好きだ。賛否両論あるらしいが、この手の作品に弱い。舞台はとある女子校の放送部。女の子同士が醸し出す特別なな世界観が眩しい。

SGCの場面の中で、門脇麦が女生徒を朗読する。その姿を遠くから見つめ何かを思う森川葵の眼差しが美しいのだ。誰もが通る10代のやりきれなさ、虚しさを代弁していた。女の子が女の子に惹かれあう要素がこの映画にはある。一番仲の良い女友達が、他の人と仲良くしていると嫉妬してしまう。それは決して恋心ではないが、それに近い女同士の難しい感情。

「女生徒」は多感な女の子の心情が、読む側の胸を刺してくる。少女が朝、目を覚ましてから、女学校、家に帰宅して夜目を閉じるまでの1日の経過を記している。どうしようも長く感じる。この本に学生の頃出逢っていたら、そうしたらあのもやもやした感情を少しだけ消すことが出来たかもしれない。大人になって改めて読むと何処か他人事で、懐かしさを覚えるから不思議だ。10代にしか分かりえない物だったのだと思う。大人になるまでの長い退屈な時間が、痛いほど分かる。女生徒の最後辺り、

 

私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり、そのうちには、踏みはずし、うんと堕落して取りかえしのつかないからだになってしまって一生をめちゃめちゃに送る人だってあるのだ。また、ひと思いに自殺してしまう人だってあるのだ。そうなってしまってから、世の中のひとたちが、ああ、もう少し生きていたらわかることなのに、もう少し大人になったら、自然とわかって来ることなのにと、どんなに口惜しがったって、その当人にしてみれば、苦しくて苦しくて、それでも、やっとそこまで堪えて、何か世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても、やっぱり、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して、まあ、まあと、なだめるばかりで、私たち、いつまでも、恥ずかしいスッポカシをくっているのだ

 映画と合わせて読んでもらいたい作品だ。それにしても太宰から溢れ出る女性性堪らない。