黒髪少女の言葉

もう少女とは呼べない。twitter @aoi_ouen

容姿に恵まれた人を羨み眺める人生も楽しい

 

顔立ちが美しい。ユニクロなんかをカッコよく着こなし颯爽と歩く。そんな女に度々憧れる。ユニクロなんてダサい?着ている本人にも原因があると思う。あの凛とた爽やかさを手に入れて人生を謳歌したい。しかし、あの下着を着けたって佐々木希にはなれないし、あの洋服を着た所でガッキーには到底なれない。元が違うのだから。抜群の容姿でこの世に生を受け、ただ生きているだけで周りを幸せに出来る能力がある。女の私が美人を目の前にした時、緊張し顔も強張る。私と話をして何かメリットがあるのだろうか。同時にそんな事を考えて微笑む。私は、美しい物をただ眺める側の人間なのだ。美しい人は常に何かを発信している。ブログとかtwitterとか、そんなソーシャルなアイテムでは無い。その人が佇んでいるだけで「かわいい」「美しい」「かっこいい」を無意識にばら撒いている。無意識なのか意図的なのかは到底分からないが無意識は強い。本物の美女はなんかは普段から自己顕示欲が少ない。いるだけで人が寄ってくるのだから。心底羨ましい。私達凡人が意図的に作り込んだとして、それでもあの域には近づく事が出来ない。必死に追いかけてその人から何を得る事が出来るのか。女の美しさなんて不平等だ。鏡の前に映し出される自分と向き合うのは拷問である。美女は積極的に街に繰り出したら良い。美しくある事は大事な「資産」だと思う。

 

熊本地震の体験を記す。縁遠いと思っていた「被災者」になった日。

 

 

2016年4月14日。その日の夜は父親と2人、家にいた。

突然、ゴーオオオオオという地響きがなり、ガタガタと大きく揺れが起こる。あまりに恐ろしく、私は叫びながら父に飛びついていた。昔何処かで教わった、地震が発生した時は、丈夫な机の下に隠れましょう。」などという教えは役に立たない事を思い知る。食器の割れる音と、鳴り響く恐怖の緊急地震速報に、必死に耐えるしかなかった。震度7レベルは、物に捕まらないと人が吹き飛ばされるような勢いだ。余震でも震度5〜6なのが本当に恐ろしい。途中で母と妹が家に帰ってきた。母が運転していた車は突然揺れにハンドルを取られ、波打ち、コントロールするのに必死だったらしい。その日の夜は、小屋に車を置き、家族5人で車中泊をする。何が起きたか分からない恐怖と夜の静けさに、身体が震えて眠れなかった。しかし家族みんなが今ここに居るという事が、少し不安を消してくれた。一人暮らしの人たちは、どんなに怖かったのだろうと想像を掻き立て眼を閉じる。 夜が明けて家に入るともう悲惨である。ガラスは割れていて、足の踏み場が無い。柱が傾き、家自体も傾き始めている事に驚きを隠せない。みんなで必死に片づけ始めるが終わりが見えない何かがあった。母はその疲労が原因で体調を崩しまい、車に戻って眠ってしまった。水もガスも止まってしまったので、とりあえず水が出る地区に足を運ぶ。 かろうじて取り出せる食べ物や、飲み物を危険に晒されながら必死にかき集めた。

 

その日、庭で食べたおにぎりは涙が出る程美味しく感じ、食べ物がある事に深く感謝した。16日の夜が近づく。今夜、またあの恐ろしい地震が来るのではないか。嫌な予感がした。とても家で寝れる状態ではない。その日も小屋で車中泊深夜を周り始めた頃、ああ、もう今日は寝よう。と車の中で毛布に包まり横になった。その瞬間訳の分からない、ゴーーオオオオという地響きとともに、ジェットコースターか何かに乗っているような錯覚する程の、恐ろしい揺れが来た。パニックだ。明らかに昨日の揺れとは違う。鳴り響く緊急地震速報「死にたくない」地球がこのまま爆発してしまうのでは?私はこの若さで死んでしまうのか、待ってくれよ、まだ何もしていない。引きこもっていただけの人生を後悔し、泣いた。朝まで永遠と揺れ続けた。酔いそうな勢いだ。人間の思考は不思議。あれだけ死にたいと考えていた高校時代と今までの生活。生死を決定してしまうような出来事に直面した時、「死にたくない」と強く思った事。自分に驚いた。私は「生きたい」のか?こんな地震で死んでたまるかと思った。そんな事を悶々と考えているうちにあっという間に朝が来て、外に出た。近所の家からガス漏れの匂いと、大量の瓦で道が塞がれていた。あの重いお墓の石もバラバラだ。もっと早く、近くの小学校に避難していれば良かったのに。人が集まる場所へ行きたい。私の家は田舎な上、山奥に建っていたので孤立地域になりかけた。急いで瓦をどかし車道を確保する。寝不足と寒さで皆身体はクタクタだったが、生きるか死ぬかの私たちは「生きるために」動いた。近く小学校に避難したが、その小学校すら危険な状態で他の避難場所に誘導される。目の前で地割れするグラウンドの光景を目の当たりにし、自然の脅威に圧倒された。このような災害でtwitterなどのSNSが非常に役だった。全く連絡を取っていなかった地元の友達のLINEグループに参加。みんなが生きていた事の安堵と、久しぶりに連絡を取るむずがゆさが交差した。こんな事が無ければ、出来れば連絡を取りたくない。私は面倒臭い人間だ。初めて避難所で支給された支援物資のコンビニおにぎり1個。心とお腹に染み渡る。近くのコンビニもスーパーも、食料が無い。

 

最終的に私たちは家から遠く離れた別の小学校で約2週間の避難生活が始まる。ダンボールで間仕切りをし、プライベートな空間を守る。家族5人で。非現実的な生活。の家族が色々な食料を分けてくれた。赤ちゃんの泣く声が体育館に響く。あの赤ちゃんは、今体験しているこの大災害を将来思い出すだろうか。いや覚えていないだろうな。なんて考えてながら眠りにつく。必ず夜9時には消灯されてしまう。子供やお年寄りが多いためだ。日に日に支援物資の量が増えていった。とてもありがたい。でも大量に余る現状もあった。本当に食料が必要な地域にまわっていないのではないか?やはりメディアの報道は偏りがあり、うまく物資を分散できずにいた。これからの課題でもあると思う。教訓を生かさなければならない。

 

私はこの体験をして、生きているだけで私には価値があると。強く感じた。家に留まってうじうじしている事が多かった私を、外に連れ出してくれたとも思う。よく言えば、私の自己肯定感を少しだけ高めてくれた。動く量が増えた。文字を書く量が増えた。一年経っても、二年後も、伝えなければ意味がない。