黒髪少女の言葉

もう少女とは呼べない。twitter @aoi_ouen

twitterに溜まる貴方の下書きは価値ある言葉なのかもしれない

 私が呟くtwitterの趣味アカウントにはフォロワーが約4000人いる。属性は女優、可愛い女の子、美少女。フォロワーが超えてくると呟きにも説得力が増し、周りへの影響力は大きくなる。ここまで増えたのは、私の「好きなもの」について書き続けていたからだと思う。その好きなものから派生して新しい「好き」が増えていく。

例えば影響力のある人が「このブランドの洋服が素敵」と呟けば、そのブランドのお洋服に興味を持つし、買ってみようかな、なんて思わされる。このように消費的行動を促す人、等をインフルエンサーと呼ぶ。twitterを始めた人はどのような理由で始めたのだろうか。周りがやっているからとか、自分の思った事、感じた事を好きなような呟けるから。とか友達同士のコミュニケーションを取るためなど様々だと思う。twitterの中にも人間関係みたいな曖昧な物が存在して、そのしがらみが嫌になって結局辞める人も多い。ある日、呟きをするとフォロワーが一気に10人くらい減る現象が起こった。何が原因か分からない。でもこんな事で悩んではいられない。鍵付きアカウントで呟きゼロなんて鑑賞用なのかもしれないがちょっと怖い。大量に溜まった下書きがそのままの状態という人は多いように感じる。発信する楽しさより、怖さが勝っているのだと思う。非常に勿体無いことだと思う。自分の考えた言葉が誰かの心を動かすかもしれないし、その分野に興味を示してくれるかもしれない。

 私は女だけど可愛い女の子が好きだし、美少女の儚さに魅了される。憧れの延長なのだ。だから言葉にして発信し続けている。twitterの良い所は発信して拡散出来る点。誰に届くか分からない楽しさ。利用していくほか理由が無い。学生時代に、手帳を買って毎日欠かさず3行くらいの日記を書いていたことがある。手帳に書く文字ってtwitterでいう下書きの状態。メモだ。アナログも好きだ。友達と遊んだ時は、その時に撮ったプリクラなんかを一緒に貼り付けた。大量の文字が羅列されているツイートが流れてきた時、何か凄いパワーを感じないだろうか。私は読みたい。この人はこれを発信したいんだなって嬉しくなって好奇心に駆られる。一人一人が紡いだ言葉や文章には価値がある。ブログを始めたときの意気込みは長くは続かないことが多いが、SNSなら短い文章で世の中に何かしらの価値を提供できる。だから私は貴方のtwitterに溜まる言葉の数々を躊躇せず届けて欲しいと願う。

 

容姿に恵まれた人を羨み眺める人生も楽しい

 

顔立ちが美しい。ユニクロなんかをカッコよく着こなし颯爽と歩く。そんな女に度々憧れる。ユニクロなんてダサい?着ている本人にも原因があると思う。あの凛とた爽やかさを手に入れて人生を謳歌したい。しかし、あの下着を着けたって佐々木希にはなれないし、あの洋服を着た所でガッキーには到底なれない。元が違うのだから。抜群の容姿でこの世に生を受け、ただ生きているだけで周りを幸せに出来る能力がある。女の私が美人を目の前にした時、緊張し顔も強張る。私と話をして何かメリットがあるのだろうか。同時にそんな事を考えて微笑む。私は、美しい物をただ眺める側の人間なのだ。美しい人は常に何かを発信している。ブログとかtwitterとか、そんなソーシャルなアイテムでは無い。その人が佇んでいるだけで「かわいい」「美しい」「かっこいい」を無意識にばら撒いている。無意識なのか意図的なのかは到底分からないが無意識は強い。本物の美女はなんかは普段から自己顕示欲が少ない。いるだけで人が寄ってくるのだから。心底羨ましい。私達凡人が意図的に作り込んだとして、それでもあの域には近づく事が出来ない。必死に追いかけてその人から何を得る事が出来るのか。女の美しさなんて不平等だ。鏡の前に映し出される自分と向き合うのは拷問である。美女は積極的に街に繰り出したら良い。美しくある事は大事な「資産」だと思う。

 

熊本地震の体験を記す。縁遠いと思っていた「被災者」になった日。

 

 

2016年4月14日。その日の夜は父親と2人、家にいた。

突然、ゴーオオオオオという地響きがなり、ガタガタと大きく揺れが起こる。あまりに恐ろしく、私は叫びながら父に飛びついていた。昔何処かで教わった、地震が発生した時は、丈夫な机の下に隠れましょう。」などという教えは役に立たない事を思い知る。食器の割れる音と、鳴り響く恐怖の緊急地震速報に、必死に耐えるしかなかった。震度7レベルは、物に捕まらないと人が吹き飛ばされるような勢いだ。余震でも震度5〜6なのが本当に恐ろしい。途中で母と妹が家に帰ってきた。母が運転していた車は突然揺れにハンドルを取られ、波打ち、コントロールするのに必死だったらしい。その日の夜は、小屋に車を置き、家族5人で車中泊をする。何が起きたか分からない恐怖と夜の静けさに、身体が震えて眠れなかった。しかし家族みんなが今ここに居るという事が、少し不安を消してくれた。一人暮らしの人たちは、どんなに怖かったのだろうと想像を掻き立て眼を閉じる。 夜が明けて家に入るともう悲惨である。ガラスは割れていて、足の踏み場が無い。柱が傾き、家自体も傾き始めている事に驚きを隠せない。みんなで必死に片づけ始めるが終わりが見えない何かがあった。母はその疲労が原因で体調を崩しまい、車に戻って眠ってしまった。水もガスも止まってしまったので、とりあえず水が出る地区に足を運ぶ。 かろうじて取り出せる食べ物や、飲み物を危険に晒されながら必死にかき集めた。

 

その日、庭で食べたおにぎりは涙が出る程美味しく感じ、食べ物がある事に深く感謝した。16日の夜が近づく。今夜、またあの恐ろしい地震が来るのではないか。嫌な予感がした。とても家で寝れる状態ではない。その日も小屋で車中泊深夜を周り始めた頃、ああ、もう今日は寝よう。と車の中で毛布に包まり横になった。その瞬間訳の分からない、ゴーーオオオオという地響きとともに、ジェットコースターか何かに乗っているような錯覚する程の、恐ろしい揺れが来た。パニックだ。明らかに昨日の揺れとは違う。鳴り響く緊急地震速報「死にたくない」地球がこのまま爆発してしまうのでは?私はこの若さで死んでしまうのか、待ってくれよ、まだ何もしていない。引きこもっていただけの人生を後悔し、泣いた。朝まで永遠と揺れ続けた。酔いそうな勢いだ。人間の思考は不思議。あれだけ死にたいと考えていた高校時代と今までの生活。生死を決定してしまうような出来事に直面した時、「死にたくない」と強く思った事。自分に驚いた。私は「生きたい」のか?こんな地震で死んでたまるかと思った。そんな事を悶々と考えているうちにあっという間に朝が来て、外に出た。近所の家からガス漏れの匂いと、大量の瓦で道が塞がれていた。あの重いお墓の石もバラバラだ。もっと早く、近くの小学校に避難していれば良かったのに。人が集まる場所へ行きたい。私の家は田舎な上、山奥に建っていたので孤立地域になりかけた。急いで瓦をどかし車道を確保する。寝不足と寒さで皆身体はクタクタだったが、生きるか死ぬかの私たちは「生きるために」動いた。近く小学校に避難したが、その小学校すら危険な状態で他の避難場所に誘導される。目の前で地割れするグラウンドの光景を目の当たりにし、自然の脅威に圧倒された。このような災害でtwitterなどのSNSが非常に役だった。全く連絡を取っていなかった地元の友達のLINEグループに参加。みんなが生きていた事の安堵と、久しぶりに連絡を取るむずがゆさが交差した。こんな事が無ければ、出来れば連絡を取りたくない。私は面倒臭い人間だ。初めて避難所で支給された支援物資のコンビニおにぎり1個。心とお腹に染み渡る。近くのコンビニもスーパーも、食料が無い。

 

最終的に私たちは家から遠く離れた別の小学校で約2週間の避難生活が始まる。ダンボールで間仕切りをし、プライベートな空間を守る。家族5人で。非現実的な生活。の家族が色々な食料を分けてくれた。赤ちゃんの泣く声が体育館に響く。あの赤ちゃんは、今体験しているこの大災害を将来思い出すだろうか。いや覚えていないだろうな。なんて考えてながら眠りにつく。必ず夜9時には消灯されてしまう。子供やお年寄りが多いためだ。日に日に支援物資の量が増えていった。とてもありがたい。でも大量に余る現状もあった。本当に食料が必要な地域にまわっていないのではないか?やはりメディアの報道は偏りがあり、うまく物資を分散できずにいた。これからの課題でもあると思う。教訓を生かさなければならない。

 

私はこの体験をして、生きているだけで私には価値があると。強く感じた。家に留まってうじうじしている事が多かった私を、外に連れ出してくれたとも思う。よく言えば、私の自己肯定感を少しだけ高めてくれた。動く量が増えた。文字を書く量が増えた。一年経っても、二年後も、伝えなければ意味がない。