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スクールガールコンプレックスの世界観と太宰治「女生徒」

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太宰治 女生徒を知ったきっかけは、映画「スクールガールコンプレックス」だ。まだ今ほど有名でない頃の森川葵門脇麦が主演している。私はこの映画が大好きだ。賛否両論あるらしいが、この手の作品に弱い。舞台はとある女子校の放送部。女の子同士が醸し出す特別なな世界観が眩しい。

SGCの場面の中で、門脇麦が女生徒を朗読する。その姿を遠くから見つめ何かを思う森川葵の眼差しが美しいのだ。誰もが通る10代のやりきれなさ、虚しさを代弁していた。女の子が女の子に惹かれあう要素がこの映画にはある。一番仲の良い女友達が、他の人と仲良くしていると嫉妬してしまう。それは決して恋心ではないが、それに近い女同士の難しい感情。

「女生徒」は多感な女の子の心情が、読む側の胸を刺してくる。少女が朝、目を覚ましてから、女学校、家に帰宅して夜目を閉じるまでの1日の経過を記している。どうしようも長く感じる。この本に学生の頃出逢っていたら、そうしたらあのもやもやした感情を少しだけ消すことが出来たかもしれない。大人になって改めて読むと何処か他人事で、懐かしさを覚えるから不思議だ。10代にしか分かりえない物だったのだと思う。大人になるまでの長い退屈な時間が、痛いほど分かる。女生徒の最後辺り、

 

私たち、こんなに毎日、鬱々したり、かっとなったり、そのうちには、踏みはずし、うんと堕落して取りかえしのつかないからだになってしまって一生をめちゃめちゃに送る人だってあるのだ。また、ひと思いに自殺してしまう人だってあるのだ。そうなってしまってから、世の中のひとたちが、ああ、もう少し生きていたらわかることなのに、もう少し大人になったら、自然とわかって来ることなのにと、どんなに口惜しがったって、その当人にしてみれば、苦しくて苦しくて、それでも、やっとそこまで堪えて、何か世の中から聞こう聞こうと懸命に耳をすましていても、やっぱり、何かあたりさわりのない教訓を繰り返して、まあ、まあと、なだめるばかりで、私たち、いつまでも、恥ずかしいスッポカシをくっているのだ

 映画と合わせて読んでもらいたい作品だ。それにしても太宰から溢れ出る女性性堪らない。