身軽に生きる

断捨離とお金とファッション

女という生き物の汚さ面倒くささを素直に描いた映画「おんなのこきらい」

 

 

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「可愛い、可愛い、可愛い。女の子はそれだけで生きていけるのです。生きる価値があるのです。」 

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おんなのこきらい [ 森川葵 ]
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 女の子なら一度は思った事がある。かわいいから許される事、この世の中には、うんと溢れている。可愛い女に生まれたかった。森川葵演じるOLキリコは、女の価値は「可愛いことが全て」と信じて生きている。男にはちやほやされるが、女には嫌われてしまう。そんな子、周りに必ず一人は居る。私は可愛いを貫く、そしてあざとさ全開の女の子が大好物である。女のあざとい部分を、前面に押し出して生きてける子、醜いけど、それが許されるのだから、羨ましいと心底思う。自分のかわいさを自覚していて、したたかで、最高だ。

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綺麗に巻かれたロングの髪と、男受けしそうな可愛いお洋服、男を引き寄せる仕草、そんなかわいい女を纏いながら生きるキリコ。キリコにとって、お菓子、ケーキやマカロンも、自分自身の「かわいい」を構成する対象だ。食べては吐くの過食嘔吐を繰り返す。勿論、食べ物だから太るが、吐いてしまえば同じ、そんな考えである。表面的な可愛いは作られないが、体の中にかわいいものを詰め込んで体の一部にする。
 

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仕事で出逢ったコウタは、キリコのあざとさを見抜いて見向きもしない。そんな素っ気ない態度を取る。俺は他の男とは違う、と。木口健太のどことなく影のある、イケメンっぷりも凄い。キリコが想いを寄せているbarで働くユウトとは、友達以上恋人未満の関係。新入りで入ってきたバイトの女の子に簡単に寝取られてしまう。いくらキリコが可愛くたって、本当に手に入れたい物は手にする事が出来ない。男は本当にバカだ。
 
失恋してメンタルがボロボロになり、長い髪をザクザクと切り落とし、泣くキリコの元に、コウタが現れる。過呼吸に陥る彼女の背中を、そっとさすってあげたり、ただ黙って一緒に居てくれるコウタの優しさが染みるし辛すぎる。一番見られたくない、惨めな女の汚い姿を表現していた。失恋した女ってあんなもんだ。キリコにとって長い髪は、可愛い、の象徴だったに違いない。ショートカットになった彼女に「可愛い」と言ってしまうコウタは、本当にズルい男だ。これは好きになってしまう。ドン底にいる時に差し伸べられる優しさは、強いし凶器ともなる。
 
鍋の材料を買ってコウタの家に行くと、コウタの彼女と鉢合わせ。しかも自分とは真逆の、落ち着いていて優しそうな彼女だったからこそ、余計に傷ついたのだと思う。耐えきれずに家を出たキリコに、コウタの彼女は「追いかけなくていいの?」と。これは女であるからこそ出た言葉だと。女の面倒くささが、女である彼女には痛いほど分かるから。私の好きなシーンのひとつ。
 
彼女がいるくせに、ドン底にいたキリコに「かわいい」と言った。可愛いが全ての彼女にとって、嘘でも言ってはいけない言葉だ。キリコに向けられた「かわいい」は、コウタにとって愛だ。家族に対して向けるような愛、人間愛。好きな人から言われる「可愛い」と、別の不特定多数から向けられる「可愛い」は、全然価値が違う。可愛いの意味も異なる。
 
失恋を繰り返して生まれ変わってゆく。そんなキリコは、客観的に見て、やっぱり「可愛い」のだ。愛しくなった。最後、自転車に乗って爽やかに走り出すシーンが表している。凛々しくて素敵だ。ロングの彼女も、ショートカットの彼女も、可愛いの形を変えて進むだけ。彼女が信じていた可愛いは一体なんだったのだろう。
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結局男は、ブスと可愛い子がいたら可愛い子を選ぶし、それを分かっているからこそ、世の中の女の子は、一番の「かわいい」を求めて努力する。好きな人に見てもらいたい、好きって言って欲しいだけなのだ。その人にとって、一番の存在にはなれないもどかしさ。おんなのこは面倒くさくて嫌い。そんなの、女に生まれた自分自身が一番分かっているから。男にこの気持ちが分かることなんて一生無い。
 
森川葵の、守ってあげたくなるような華奢さと、可愛さが、よりこの映画の説得力を増す。ハッピーエンドに終わるそこらの恋愛映画とは、違う。見事に裏切ってくれて潔い。それでも、やっぱり「可愛い」には価値がある。