身軽に生きる

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熊本地震を思い出すということ

熊本地震から一年が経つ。4月14日。そして思いもよらぬ本震。14日だけではないのだ。16日にやってきた震度7。こちらの方が、威力が何倍もあった。私はこの地震で,

家を無くした。一年経った今もみなし仮設住宅に暮らしている。様々な問題が重なって、家が建てられないのも現状だ。仮設住宅での生活はまだ続くだろう。仲の良かった親友の家もほとんど無くなった。遊んだ思い出の場所。やはり震災後の熊本の現状を伝える報道、長くは続かない。これはしょうがない事だと思う。メディアは一年という節目に目を向けて報道して伝える。これは、「熊本地震」という出来事を思い出させる、風化させない為の報道。それは、とてもありがたい事だと思う。一年に一回だけでいいので思い出して欲しい。思い出されることが、私にとって嬉しい。目に留めて欲しい。熊本の人にとって戦いは続いている。私のような被災者が、被災地から情報発信をすることに意味がある。 つくづく、戦争を経験した人が、語り部として伝えている事の重要さを、同時に感じた。東日本大震災が発生しテレビで幾度も報道されていた時、大変そうだなと思っても、正直、どこか他人事である自分がいた。驚くほど無関心であった。あまりにも非現実的で、映画を観ているような感覚。熊本地震は、津波が無かっただけましだと思われるかもしれない。死者も少なかったかもしれない。だからと言って、忘れ去られるような出来事だけにはしたくないのだ。

 

「復興」したのかと聞かれれば、復興に向けて少しずつ確実に進んではいるが、本当にたった少しである。なにを持って復興と呼べるのか?私には分からない。まずは壊れた家の解体。解体が進んでいる地域にも当然差があり、傾いた家、壊れたお墓、散らばった瓦の山。そんな光景がざらにある。

 

 メモとして震災直後に撮影したものを載せておきたいと思う。水害も重なり悲惨な台所。

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 下から割れ始めた階段。二階に上るのも恐怖だった。

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バリバリに地割れする地面。大きな余震が起こる度に地割れした地面が左右に動くのだ。

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はがれ始める家の壁。

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お墓の石さえも崩れてバラバラ。地震のある少し前に亡くなった、私のおじいちゃんはどんな気分だっただろうか。

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積まれる瓦の山。良い瓦なのに勿体ない気がしたが、この重い瓦屋根が家を潰しかねない原因となる。とくに熊本の田舎の家は、瓦に重きを置いて建てられた家も多い。昔の人はそこに見栄を張るような部分があった。

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 約20年住んだ、我が家の解体の様子を見に行って撮影した写真。もう悲しさを通り越して、涙も出なかった。ずっと立ち尽くして見ていた。今は何もない更地になっている。

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 近くにある神社は、裏に回るとブルーシートがかけられ、石垣はバラバラの状態まま。これは震災当時と変わっていない。これが現状。正直このような小さな神社までは、手が回っていないし、いつ手がつけられるのかも分からない。圧倒的に人手が足りない。震災直後のように、人は集まらない。

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 今も、度々余震が起こる。忘れた頃にやってくる揺れは体感とした大きく感じ、あの恐怖を思い出して体が震えてしまう。精神的苦痛を長期にわたって味あわせられる。こうやって一年を振り返った時に、体調が悪くなったり、気分が落ち着かずそわそわする、いわゆる記念日反応が起こる。決して子供に限った事ではない。

 

しかし震災前に比べて、災害対策に対する意識は、格段に上がったと感じた。懐中電灯、ラジオ、タオル、靴下、非常食、ウェットティッシュ等を詰めたバッグをいつも置いている。災害を経験しないと、このような対策を実行出来ていなかったことが分かった。予測できない地震から、自分の命を守るために、生きるために行動してほしいと思う。そして、熊本で起こった二度の地震を、長く伝えていきたいと強く思う。